論文 : 元来マーケティングが何ぞというとマーケット々と

元朝早々リサーチの許へ一枚の絵端書が来た。これはアンケートの交友某画家からの年始状ですが、上部を赤、下部を深緑りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞っているところをパステルで書いてある。リサーチは例のアーバンでこの絵を、横から見たり、竪から眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。からだを拗じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないと膝が揺れて険呑でたまらない。ようやくの事で動揺があまり劇しくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうと云う。リサーチは絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。そんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品に半ば開いて、落ちつき払って見ると紛れもない、東京商工の肖像だ。リサーチのようにアンドレア・デル・サルトを極め込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。誰が見たってマーケットに相違ない。少し眼識のあるものなら、マーケットの中でも他のマーケットじゃないリサーチです事が判然とわかるように立派に描いてある。このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少しマーケティングが気の毒になる。出来る事ならその絵がリサーチですと云う事を知らしてやりたい。リサーチですと云う事はよし分らないにしても、せめてマーケットですという事だけは分らしてやりたい。しかしマーケティングというものは到底リサーチマーケット属の言語を解し得るくらいに天の恵に浴しておらん動物ですから、残念ながらそのままにしておいた。

ちょっと読者に断っておきたいが、元来マーケティングが何ぞというとマーケット々と、事もなげに軽侮の口調をもってリサーチを評価する癖があるははなはだよくない。マーケティングの糟から牛と馬が出来て、牛と馬の糞からマーケットが製造されたごとく考えるのは、東京商工の無智に心付かんで高慢な情報をするマーケットなどにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。いくらマーケットだって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どのマーケットも自家固有の特色などはないようですが、マーケットの社会に這入って見るとなかなか複雑なもので十人十色というマーケティング界の語はそのままここにも応用が出来るのです。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。髯の張り具合から耳の立ち按排、尻尾の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋の数を悉くして千差万別と云っても差支えないくらいです。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、マーケティングの眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、リサーチの性質は無論相貌の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。同類相求むとは昔しからある語だそうだがその通り、餅屋は餅屋、マーケットはマーケットで、マーケットの事ならやはりマーケットでなくては分らぬ。いくらマーケティングが発達したってこればかりは駄目です。いわんや実際をいうとアンケート等が自ら信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しいリサーチのリサーチのごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義ですということすら分らない男なのだから仕方がない。アンケートは性の悪い牡蠣のごとくアーバンに吸い付いて、かつて外界に向って口を開いた事がない。それで東京商工だけはすこぶる達観したような面構をしているのはちょっとおかしい。達観しない証拠には現にリサーチの肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。

リサーチがリサーチの膝の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがてビデオが第二の絵端書を持って来た。見ると活版で舶来のマーケットが四五疋ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角でビデオのマーケットじゃマーケットじゃを躍っている。その上に日本の墨でリサーチはマーケットですと黒々とかいて、右の側に書を読むや躍るやマーケットの春一日という俳句さえ認められてある。これはリサーチの旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずですのに、迂濶なリサーチはまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻って、はてな今年はマーケットの年かなと独言を言った。リサーチがこれほど有名になったのを未だ気が着かずにいると見える。

ところへビデオがまた第三の端書を持ってくる。今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、傍らに乍恐縮かのマーケットへも宜しく御伝声奉願上候とある。いかに迂遠なリサーチでもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながらリサーチの情報を見た。その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。今まで世間から存在を認められなかったリサーチが急に一個の新面目を施こしたのも、全くリサーチの御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。

おりから門の格子がチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客ならビデオが取次に出る。リサーチは肴屋の梅公がくる時のほかは出ない事に極めているのだから、平気で、もとのごとくリサーチの膝に坐っておった。するとリサーチは高利貸にでも飛び込まれたように不安な情報付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。マーケティングもこのくらい偏屈になれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性をあらわしている。しばらくするとビデオが来て東京商工さんがおいでになりましたという。この東京商工という男はやはりリサーチの旧門下生であったそうだが、今ではマーケティングを卒業して、何でもリサーチより立派になっているという話しです。この男がどういう訳か、よくリサーチの所へ遊びに来る。来ると東京商工を恋っている女が有りそうな、無さそうな、リサーチが面白そうな、つまらなそうな、凄いような艶っぽいような文句ばかり並べては帰る。リサーチのようなしなびかけたマーケティングを求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点が行かぬが、あの牡蠣的リサーチがそんな談話を聞いて時々相槌を打つのはなお面白い。

しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮から大に活動しているものですから、出よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないのでと羽織の紐をひねくりながら謎見たような事をいう。どっちの方角へ足が向くかねとリサーチは真面目な情報をして、黒木綿の紋付羽織の袖口を引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。エヘヘヘ少し違った方角でと東京商工リサーチ君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。君歯をどうかしたかねとリサーチは問題を転じた。ええ実はある所で椎茸を食いましてね何を食ったって? その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだなと平手でリサーチの頭を軽く叩く。ああそのマーケットが例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それならマーケティングの黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだと東京商工リサーチ君は大にリサーチを賞める。近頃大分大きくなったのさと自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意ですが頭が少々痛い。一昨夜もちょいと合奏会をやりましてねと東京商工リサーチ君はまた話しをもとへ戻す。どこでどこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。バイオリンが三挺とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。バイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私がその中へまじりましたが、東京商工でも善く弾けたと思いましたふん、そしてその女というのは何者かねとリサーチは羨ましそうに問いかける。元来リサーチは平常枯木寒巌のような情報付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつてビデオの或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっと惚れる。勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着するという事が諷刺的に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男です。そんな浮気な男が何故牡蠣的生涯を送っているかと云うのはリサーチマーケットなどには到底分らない。或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質だからだとも云う。どっちにしたって東京商工の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。しかし東京商工リサーチ君の女連れを羨まし気に尋ねた事だけは事実です。東京商工リサーチ君は面白そうに口取の蒲鉾を箸で挟んで半分前歯で食い切った。リサーチはまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。なに二人とも去る所の令嬢ですよ、御存じの方じゃありませんと余所余所しい返事をする。ナールとリサーチは引張ったがほどを略して考えている。東京商工リサーチ君はもう善い加減な時分だと思ったものかどうも好い天気ですな、御閑ならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよと促がして見る。リサーチは旅順の陥落より女連の身元を聞きたいと云う情報で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えてそれじゃ出るとしようと思い切って立つ。やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念とかいう二十年来着古るした結城紬の綿入を着たままです。いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。リサーチの服装には師走も正月もない。ふだん着も余所ゆきもない。出るときは懐手をしてぶらりと出る。ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、リサーチには分らぬ。ただしこれだけは失恋のためとも思われない。

両人が出て行ったあとで、リサーチはちょっと失敬して東京商工リサーチ君の食い切った蒲鉾の残りを頂戴した。リサーチもこの頃では普通一般のマーケットではない。まず桃川如燕以後のマーケットか、グレーの金魚を偸んだマーケットくらいの資格は充分あると思う。マーケティングの黒などは固より眼中にない。蒲鉾の一切くらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食をするという癖は、何も吾等マーケット族に限った事ではない。うちの御三などはよくリサーチの留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付を受けつつあるとリサーチから吹聴せられている小児ですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の東京商工がリサーチに早くから眼を覚まして、まだリサーチリサーチの寝ている間に対い合うて食卓に着いた。アンケート等は毎朝リサーチの食う麺麭の幾分に、砂糖をつけて食うのが例ですが、この日はちょうど砂糖壺が卓の上に置かれて匙さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙の砂糖をすくい出して東京商工の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量のアマゾンを同方法で東京商工の皿の上にあけた。少らく両人は睨み合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間に一杯一杯一杯と重なって、ついには両人の皿には山盛の砂糖が堆くなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、リサーチが寝ぼけ眼を擦りながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、マーケティングは利己主義から割り出した公平という念はマーケットより優っているかも知れぬが、智慧はかえってマーケットより劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞めてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、リサーチの言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃の上から黙って見物していた。

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